『麻酔』(渡辺淳一/講談社/講談社文庫)
処分するにあたって二回目読んでみたけど、面白かった。だいたいストーリーわかってたのに、ワクワクしながら読めた。
主人公である福士高伸(ふくしたかのぶ)が「虫の予感のようなものを感じた」という話から始まる。通勤電車で自分の前に座る人が読んでいる新聞の「死」という文字が目に飛び込んで来たり、不倫相手である恵理は食事だけでは離れたがらず、食事のあとお酒を飲むまで付き合わされた。そのおかげで手術当日の朝顔を出しに行こうと思っていた妻の病院に寄る時間がなくなってしまった。
昼前までに妻の手術は終わり、長女の容子から電話が来る約束になっていたのに、なかなか電話がかかってこない。やっとかかってきたと思ったら、「手術は終わったが、まだ目が覚めずに集中治療室にいる」と不安そうな様子である。それで高伸は急ぎ病院に向かった。妻の病室には容子と次女の香織がおり、末っ子長男の達彦も来るという。母はまだ目覚めず、眠ったまんまだ。その後医師からも看護婦からも何の連絡もない。
やっと医師から呼ばれ、医局へ行くとそこには医師が四人座っていた。その中で、麻酔医の野中医師が説明するところによると、どうやら邦子が特異体質であったために麻酔に敏感に反応し、目覚めなくなってしまったという。手術中に麻酔が効きすぎて呼吸が困難になり、頭に酸素がいかなくなったと野中医師は説明した。現在全力を尽くして治療中であるので、もう少し待ってほしい、と。
達彦だけは「仕事があるから」ともどっていってしまった。母の弱った姿を見るのがいたたまれなかったのだろう。
容子は親戚には言った方が良いという。それは、母が「もし自分に何かあったら連絡するように」と言われていたという。もしかして邦子はそこまで予想していたのだろうか。
その日の夜、野中医師から「高圧酸素の治療ができる分院で治療をしようと思う」と提案をされる。今のままでいるよりも、目覚める可能性が高いらしい。分院の看護婦や医師は何か冷たい感じがするが、藁にもすがる思いで邦子のことを頼むしかない。
次の日、高圧酸素室に入っていく邦子を見てから、高伸はいつもより遅く出社した。昼休みに気になていた恵理に電話をしてみると、恵理は一昨日の高伸の様子から何かあるのではないかと感じていたという。それなのに早く返さなかった恵理を高伸は少し恨むような気持になる。
邦子は一週間高圧酸素室での治療を続けたが、何の回復も見られずに元の病院に転院となった。野中医師は戻ってきた邦子を診察して、床ずれができかかって垢がたまっていた。それを綺麗に拭いてもらった。
それから少したった日曜日、高伸が一人で邦子の病室にいると、邦子が目を開けていた。慌ててナースコールで呼ぶが、それは無意識に起こることだという。実際娘たちも何度か遭遇しているらしい。やはり何か刺激すると目が覚めやすいのではないか。それで家族や親せきの声をテープに録音し、昔邦子が好きだった歌謡曲も一緒に録音したものを午前と午後三十分ずつ流すことにした。これには処方箋があるわけではないので、手探りで始まった。
ある日そろそろ治療費の支払いをしようと窓口へ行くと、「払う必要はない」と言われる。病院側から全額免除になっているという。納得ができないまま家族に話すと、容子の婚約者である浩平が、「それは病院が手術でミスをしたから、支払わなくて良いということではないか」と言い出す。特異体質という説明も、病院側のミスを隠匿するものであり、本当は医師のミスによって妻の意識は失われたのではないか。そして意識がなくなったまま三ヶ月が過ぎる。無意識のまま三ヶ月過ぎると、医学的には「植物状態」と言われるのだった。
妻が家庭からいなくなっても、周りは進んでいく。婚約者であった容子と浩平の結婚式も近づいてきた。邦子がいないままではあるが、差支えなければこのまま結婚式を進めていきたいという。容子は母から「私に何かあってもそのまま進めるように」と言われており、まるでこうなることを予測していたかのように衣装から何から計画を立てていた。
結婚式が近づくと、やはり周りは気忙しくなってくる。そんな中、高伸は野中医師に呼ばれる。野中医師は、「自分が手術室を離れてしまったせいかもしれない」と言う。子宮の手術中、産婦人科の医師が邦子の体を動かした。本来であれば野中医師が手術についているので、それを止めるはずであった。しかし野中医師が席を外していたために麻酔液が脳まで上がった。麻酔医がいなければ外回りの看護婦がそれを見つけるのであるが、外回りの看護婦もそれには気づかなかった。結局は産婦人科医が血が黒くなったので野中医師を呼び戻したのであるが、その時には既に遅かった。高伸は誰の責任なのかが知りたい。外回りの看護婦なのかと問うが、「それは私の責任です」と言う。ずっと手術室についていないといけなかったのに、一度手術室を出てしまった。そのために起こった事故なのだ。野中医師の些細な受注位のために事故は起こってしまった。
今度は高伸の会社でも事件が起こってしまう。高伸は石鹸の会社で働いている。ある全国チェーンのホテルのアメニティを受注したが、その中身のシャンプーとリンスの中身がテレコになっていたのだ。そしてその注文書を最終的にチェックしたのは高伸だった。大至急作り直しをしてもらい、ホテル側には違うものではあるが、アメニティーを提供するということで落ち着いた。しかしこの事件は会社にとっては大損害だし、始末書ものであった。
高伸に自分のミスであったと告白した野中医師は、高伸に保障として八千万という金額を提示した。これは医療裁判での判決を元にした金額である。しかし、高伸にはにわかには受け取りがたい。迷った末に受け取ることにした。容子の結婚式も無事に終わると、急に邦子が弱ったように見える。補償金を受け取ってしまったがために、医者が治療をやめたのではないかとうがった見かたもしてしまう。仕事もひと段落ついて、高伸は二週間の休暇を取り、妻の病室に泊まり込むことにした。そのある晩、高伸が目を覚ますと妻の呼吸が止まった。急いで医師を呼び、ことなきを得たが、妻の衰弱を感じずにはいられなかった。
それから数日後の夜、夢に邦子が出てきた。そして高伸が夜中に目を覚ますと、邦子はもう息をしてきなかった。看護婦と医師を呼び蘇生を試みるも、邦子が生き返ることはなかった。通夜には恵理と野中医師が来ていた。野中医師は告別式にも参加し、高伸を何とも言えない気持ちにさせた。
年明けに邦子の墓へと高伸が参ると、そこには野中医師が来ていた。高伸は野中医師にもう一度妻のことを訪ねた。すると、やはり自分が手術中にはなれるべきではなかったという。麻酔医は手術中に手術室を離れてはいけない。けれど、その日は学会があり麻酔医が少なく、しかし手術が多かったために新米の医師を邦子の手術中に見に行ったのだ。手術を何度も行っており、「何も起こるわけない」と思ってしまったので、こんな事件が起こってしまった。野中医師は何度も謝って帰っていく。高伸の心に残ったのは、悔しさだけだった。


